今ここに上手く弾けない一つの曲がある。
他の曲に紛らせて、誤魔化し誤魔化し今まで練習を続けてきた。
今日は、その曲に正面から取り組んでみた。
やはり上手く弾けない。
回数こそ、そう多くないかもしれないが、随分長いこと練習している曲だ。
大して難しい曲ではない。
長い曲でもない。
むしろ単調で易しいから、却って間違えている。
どういうことかというのと、なぜかこの曲だと面倒くさくなってどうしても惰性で弾いてしまうのだ。
すると微妙な差異を飛ばしてしまってキーを間違えている。
それは実は自分がこの曲を苦手にしているからなのだ。
実はこの曲は易しいようで、指の使い方は結構難しい。
だから、失敗しても仕方ないかな的に、心の底では適当に弾いていたようだ。
逃げていたのだ。
さらにこの曲では、譜面を読まず、指番号を見るばかりで怠けている。
音譜を逐次処理するのが難しくなったのか。頭で考えることを避けている。
そうするともうピアノは無理だ。
辛いこと・嫌なことを避けようとしたら、もうピアノは無理なのだ。
久しぶりに壁に当たって、だから自信を無くしたのだ。
というよりも、自分の裏の姿、真の力を認識したのだ。
どうすれば良いか。
力が無いのだから、ピアノを始めたばかりのようにやるしかない。
右手のみで、覚え、左手のみで覚え、それもゆっくり。
両手を合わせて、ゆっくり。
それを千回繰り返す。
タイトルの”自信”なんてものは最初から無いのだが、小さな成功体験はあった。
だから、ここまで続けてこられた。
その成功は実は嘘だった。
そう感じたから、自信を失ったということだ。
来た道の地盤が壊れてしまった。