忙しくて行くことが出来なかった。
チケットは、1月には取得できていたのだが。
チケット取得を希望していた他の人には悪いことをした。
アーティストにも申し訳ないとは思う。
最後まで参加しようと思ってはいたが、それがままならなかった。
自らに課したふた月に一度のルールを危めてしまった。
2月に一度は、やはり高頻度過ぎるのか。
無理があったのかもしれない。
少し見直してみて、また始めるとしよう。
忙しくて行くことが出来なかった。
チケットは、1月には取得できていたのだが。
チケット取得を希望していた他の人には悪いことをした。
アーティストにも申し訳ないとは思う。
最後まで参加しようと思ってはいたが、それがままならなかった。
自らに課したふた月に一度のルールを危めてしまった。
2月に一度は、やはり高頻度過ぎるのか。
無理があったのかもしれない。
少し見直してみて、また始めるとしよう。
1月の半ば頃から少しずる練習を進めている。
発表曲とされている、この巻最後の曲。
最初は全くリズムが取れずに難儀して、やむを得ずyoutubeにアップされている動画を確認し、曲の調子をつかむことも必要だった。
馴染みのない指遣い。
コツをつかめず、なかなか前に進めずにいたが、最近になって大分落ち着いてきた。
この曲の仕上がりに良い感触が得られたら、次の併用本へと進むつもり。
3月末までにそこにたどり着きたいし、恐らく大丈夫だろう。
併用本による練習は1年で一冊というペースで来ていることになり、3年目に入る4月には3冊目に入る、といのは、結果として中々都合が良い。
22年の3月某日、それがいつだったかは忘れてしまったが、家にあったキーボードの鍵盤に初めて手を触れた日だ。
心の隅のどこかにあった、鍵盤楽器演奏への慕情を形にする。
爾来、歩み遅くもピアノと付き合い、ここまで進めてきた。
ピアノの独習、ことにある程度の年齢より上になってからは、凡そ9割が1年以内に止めてしまう、という記事をインターネット上で横目にしながら、辛くも中断の関所を乗り越えられたのは全くの幸いだった。
小さな絶望・諦めの連続だったから、いつくじけてもおかしくない。
さて、2年もすれば、演者の感性・適性が如実に現れ、どこまで辿り着けるのかが明らかになるとの事。
すなわち自分の場合は、結局のところ、才能に恵まれていなかったということで、つまりこれ以上技術を伸ばしようがない、天井に当たってしまっているというのは正当な指摘ではある。
そうは言っても、元々、音大入学を目指す学生のような水準を目指しているわけではなし、端からそこに行き着くことは不可能だ。
でも、目指しているところはある。
こうありたい、という姿はある。
だがそれは先の先の話。
ずっとずっと先の話。
トラック3週目に入ろうとする手前のところで、少し想いにふけってみた。
11月は出遅れたから、1月分は早めに抑えなければ。
12月のクリスマスコンサートに行くといったような、高尚な趣味は持ち合わせていないけれど、何となく年末にも行ってみたい気はする。
ピアノリサイタルではくても、シンフォニーでも良い。
但し、第9を聴きたいとは思わない。
2箇月に一度とは結構な頻度で、選ぶのもせわしい。
インターネットでも、席が選べなければそもその対象外だ。
席が選べずというこの点が、結構難問で、対象は絞られる。
取り敢えず今から調べて見よう。
目標である、二月に1度のコンサート。
先月が当該月でありなかなか対象が決まらなかったが、何とかギリギリ昨夜行くことが出来た。
予約をしたのが、一昨夜のことで、これまたギリギリであった。
当日窓口購入するつもりであったが、念のため自由席かどうかを調べた。
端の席が良いのだ。
当日好きな席に座れれば、それで良い。
席は指定とあった。
これではまずい。
そこで当日窓口購入ではなく、ネット予約をすることにした。
まずまずの席を選べたと思ったが、会場入りして失敗したと思った。
ステージに対し、かなり左寄りの位置だ。
演奏者の真後ろに近い印象だ。
すると2時間ほど、ただ演者の背中を拝みながら曲を聴くことになるのかと思って、気が滅入った。
だが、実際に演奏が始まると、それは杞憂であることが分かった。
全くの後方ではなく、左斜め50度ほどで、そこそこ腕の動きを見ることが出来た。
大体からしていつも真横ということは無い。
思い出すと、いつも演者の正面、つまりお顔を拝むのではなく、左サイドに座っていて背中側を見ていたのだ。
さて、今回のコンサートは、ピアノの独奏会で、つまりリサイタル形式であった。
以前、2月に一度サントリーホールに行かないと落ち着かないと書いたことがあったが、10月にサントリーホールに出掛けていた※から、気分は充足していて、別にそこのコンサートでなくても構わなかったが、11月に間に合うような催しはここしかなかった。
※その時は内田光子のコンサートチケットを買おうと出掛けたが結局は買っていない
会場は小ホールのブルーローズで、ここの会場の催しでは、最後までいたためしがなく、良い思い出が、ない。
演奏者は、それなりに立派な経歴を持っている人物で、海外を主な活動場所としているらしい。
このレベルのアーティストでも、大ホールの主役になれないのかといつも疑問に思うのだ。
曲目は、ロマン派のものが中心であった。
ショパン、リストの曲に精通しているからその通りとなる。
特に、リストには通暁しているようで、つまりそれは彼女も技巧派ということになろうか。
見た感じ、かなり上背があり、骨格もしっかりしていそうだがら、筋力もそれなりにあり、ピアノを押さえつけるような、ピアノと格闘するような演奏に感じられた。
ピアノを制圧するように見える動きすらある。
指の動きのそれは、素早いカニの足のようでもあり、大きな蜘蛛(言っては何だがまるでタランチュラ)のようでもある。手も大きいのであろう、オクターブも難なくこなしている。
リストは長躯で、掌も大きかったことを幸いに、超絶技巧の曲を作り演奏をしたが、彼女も丁度同じように、体格に恵まれ、リストを得意とする師に従事したのだから、自然そうなる。
ラ・カンパネラも、難しいと言いながらも弾きこなしていたから、やはり技巧派なのだろう。
会場のせいなのか、演奏のせいなのか分からないが、ピアノの音の収束が早く、響きが少ないような様な気がした。
勿論、演奏には何の問題も無いから、最後の曲まで聞いて帰った。
自分の場合、求めているものはピアノの技術ではなく音色であり、音の響きである。
基本の音は、いつものスタインウェイ&サンズのそれで、それ以上のものはなかった。
良い演奏ではあったけれど、それ以上のものでもないことはいつもの通りだ。
別に演者のせいではない。スタインウェイが好みではないのであろう。
いつもそうなのだ。
いつものように曲を聴いて、いつものようにただ家路についた。
さて、最後に演者についての心象も書いておこう。
登壇時、アウトフィットのせいか、出で立ちからするその印象は、ピアニストのそれ、というよりも、銀座の高級クラブのママのそれである、というように感じた。
休憩時に、ドレスチェンジがあったが、その印象は変わらなかった。
内に秘めたしなやかさ、というよりも発露する自信といったものが見え隠れする。
だから、高級な店を切り盛りするプレジデンシャルな銀座のママに見えたのだろう。
マイクを持ち、曲や作曲家の解説を始めると、一転変わって、柔和な表情と話す内容の深さも相まって、ピアニストのそれとなる。
20年を超えるキャリを持つベテランであるが、実年齢よりはかなり若く見えた。
観客の中に顔見知りが相当数いたようで、彼女がそのことに言及していた。
固定ファンが多くいるようだ。
理数系の組織や団体とのコラボレーションが珍しいと思った。
何か思惑があるのだろうか。
ところで彼女は桐朋系なのだ。
揶揄するようなことを上に書いたが、心のどこかで応援したいという気持ちが少し残った。
打鍵方法が良くないのだろう。
暫く打ち込むと腕が痛くなる。
筋肉も固く強張るようになって、動きが鈍くなり、打鍵ミスが目立つようになるからそれで連取を止める。
早ければ5分程度でそうなってしまう。
プロを打鍵を見ると、その姿は力まず美しくしなやかで、何時間でもピアノが弾けそうな雰囲気だ。
元々、指が太くて短く、かつ腕も長くはなく、体つきも固い。
まずはどうにも無駄な力が掛かりやすい体つきなのだ。
力を抜くにはどうするべきか。
肩と肘の位置、動かし方が鍵になると思っているのだ。
指と手首はその後だと考えている。
答えはまだ見つかっていない。
1つの曲、課題にどれだけの時間、練習回数を見ればよいか。
指導者がいれば、適切な数値が出て来るのだろうが、独学で進める自分にはこれが分からない。
テキストに1回当たりの練習時間が書いてあるものがあり、それは都合が良い。
それ以外のもの、特に自分にとって難易度の高いもの、不得手なものをどう取り扱うに迷いがある。
基本的な練習、運指練習(ハノン)、平行練習曲、新しいもの、過去に練習した曲の復習など取り組み口は様々だ。
固定メニューがあれば良いが、適当に練習していく後、少しづつ適切な形に収束していくのだろうか。
小さなワルツ、かわいいオーガスティンをそれぞれ通しで弾きこなせた。
勿論長い間練習はして来たが、結論として完成には思ったよりも時間はかからなかった。