チェルニーが作曲した、”小さなワルツ”という曲で躓いて先に進まない。
”小さなワルツ”が悪いのではなく、自分がなだらかに下がる音が出せないだけなのだ。
練習するたびに打鍵が変わり、そのたびにうまく行ったり行かなかったり。
安定してない。
”みじかい うた”といい、”小さなワルツ”といい、タイトルだけだと、如何にも簡単ですよ、という曲に引っかかっているのは、何とも皮肉なことだ。
ただ練習すれば良い、というものではない。
どうしたら、上手く弾けるようになるか=どこが悪くてどのようにしたらその悪い部分を改善出来るかを考えながら、常にやっている。
ただ闇雲に鍵盤を叩いていても、それで上達する、というものではない。
自分には先生がいないのだから、腕の構造、自分の癖などを考えながら、あれこれと試す以外に無い。
常に考えながらやっている。
実はちょっとしたコツがあって、それを習得できればスッと前に進めるのであろう。
そのためのピアノ教師なのだ。
それでも頭も固くなり、腕も固くなり、心も頑なになった自分がそれを受けられるかどうかは分からない。
元々、ピアノ弾き向きではない体つきや、知恵の回り方だ。
誰かについて苦労するのは目に見えている。
さて、今日も、早朝は5時過ぎ、早めに起き出して、戸外で飼っている観賞魚の世話をした。
涼しい時間帯だからなのか、ミンミンゼミの鳴き声が優勢だ。
良くその声を聞いてみると、上手に鳴くミンミンゼミ、だみ声のミンミンゼミに分けられた。
同じように聴こえるセミでも個性があるものだ。
勿論、人には良く聞こえるその音が、セミ同士の中での上評価とは限らない。
そして、だみ声のミンミンゼミは、うまくピアノを鳴らせない自分と重なり合うものがある。
迂闊にも、またセミの話題となってしまった。