内田光子は諦めた

先に書いた通り、仕事が一段落して、普段どおりの生活に回帰することが出来る。

溜まった鬱憤を晴らすため、というか、気持ちを切り替えるために、ピアノコンサートに行くのだ。

 

そう、今まで傍らに置いていたピアノコンサート鑑賞について、最後の検討を行うことにした。

 

2箇月に1度行くと決めているピアノコンサート鑑賞。

その二月に一度とは、今月11月なのは既に書き付けたとおり。

 

検討していたのは、大御所・内田光子だ。

昨年の同時期、彼女のコンサートを見送り、小林愛実を選んだのも既に書き付けたとおり。

この選択自体に瑕疵はない。

 

今年こそはと考えていた”内田”だが、結論として諦めた。

矢張り、2万円のチケットは高すぎる。

 

数日前まで、1万6千円のチケットもあったはあったが、ステージ向かって右側にその席がある。

それではプレーヤーの手捌きが見えない。

 

4000円を追加すれば、左サイドの席が手に入るが、大台を超えて相当な額になってしまう。

 

躊躇しているうちに、安い方のチケットは売り切れ、選択肢は1つしか無くなった。

いや、あるにはあるが、2万Ⅳ千円もする。

 

学生なら、2000円で鑑賞できるのだ。

席は今一つだろうが、余りにも一般チケットとの金額の差があり過ぎるのが、気持ちにブレーキを掛けた。

 

ということで、内田光子は諦めた。

 

だがしかし。

サントリーホールに定期的に向かわないと、なんだか気持ちが落ち着かない。

 

コンサートはあるにはあるが、小ホール(ブルーローズ)のものだ。

ここでのコンサートは、常にケチが付く。

 

どうするかだ。

シンフォニーには余り興味が無い。

 

せめて、ピアノ協奏曲があるプログラムを選ぶことにして、ここに足を向けるか。

或いは、サントリーホールは諦めて、他の会場を選ぶことにするか。

仕事は終わった

数か月かけて準備した大プロジェクトが終わった。

ずっと残業続きの毎日で、この一月は休みも無い。

 

最後の1週間は、夜は遅く・朝は早くで、飼育している鑑賞魚の餌やりや水替えもおろそかになってしまった。

 

相手は生き物だというのに。

此奴のせいで、多分数を減らしてしまっているだろう。

 

プロジェクト当日は規則破りの輩や苦情屋が多く、最後には汚い言葉遣いでけんか腰の対応になってしまった。

実に気分が良くない。

 

終わったは終わったが、細かい課題や問題点も浮上してきて、スッキリとした感情からは程遠いところにある。

 

実に嫌な気分だ。

後味が、悪い。

 

仕事を進めていくうちに、味方だと思っていた色んな人が敵になってしまう。

こんなもの、不幸でしかない。

 

フザケタ仕事だ、

全く嫌気が差した。

 

もう二度とはやらない。

真っ平御免だ。

 

そう、最後はピアノも1週間弾くことが出来なかった。

そうしたらものの見事に下手糞になっていたよ。

新しいフェーズ

局面が変わりつつあるのが意識出来るため、練習も少し違う段階へと入りつつある。

 

併用本に加えてバイエル速習本を平行使用することにして、本の内容を確かめたり、音の高さを音譜に書き込んでみたりしている。

 

加えて、新しい曲を断続的ではあるが継続して練習するようにした。

今迄はこなしてきた曲の練習に注力するばかりで、次のステップである新しい曲の練習を出来るだけ避けていたのだ。

 

辛い練習、すなわち全く弾けなくて一からやらなければならないことが苦痛だった。

怠いのは嫌だから、新しい曲の練習に着手するのを避けてきた。

 

今はその辛いことに向かい合いつつあるのだ。

 

 

安定してきた・安定しつつあるピアノを弾く姿勢

打鍵が安定してきたのは2週間ほど前から。

温故知新ということで、併用本の一番簡単な曲の練習を再開してからの事。

 

最初に戻ったことで、一度は崩れてしまったフォームが再構築されたようで、日に日に安定しつつある。

 

もう少し練習すればかなり良いところまで行けることは間違いない。

ある程度見極めが出来、ちょっとやそっとの事ではフォームが崩れないようになったら、方法論ということでも記録することが出来そうだ。

真似

”かてぃん”の真似をして、叩くように、弾くように打鍵して見る。

 

出来る限り、腕の力を抜く、力みが無くなる様にだ。

そうすれば、もっとスムースに指の移動が可能になると思っての事。

 

当たり前だが、上手くはいかない。

 

仕方が無いから、”カフェイン”たっぷりのコーヒーを飲んだ。

自由な指遣い

”かてぃん”がピアノを叩いてところを見た。

NHKのニュース番組内の特集のようであった。

 

弾いている(ひいている)、という印象は、ない。

指で叩いている、弾いている(はじいている)というように見える。

 

随分、自由な指遣いに見て取れた。

全く力みが無い。

兎に角、自由だ。

 

出る音は凡そ汚い。

美しい響き、という感じはない。

 

辻井伸行の、粒ぞろいの珠玉のような美しい音色が自分に合っている。

 

かてぃんの指遣いで、辻井伸行の音色。

 

 

正しい方法で練習してこそ

ただひたすら練習すれば良い、というものではない。

 

正しいやり方・方法において練習してこそ、進歩があるというものだ。

 

ということは。

独学という、全く正しくない方法で練習している自分は、更なる上達の見込みは殆ど無い、ということになる。

 

多分、そうだろう。

恐らくそれは事実だろう。

 

でも今は誰かに師事することは出来ないのだ。

低い水準のまま、少しばかり前に進めていくことを、暫く続けていくしかない。